大寧護国禅寺

三条公頼きんより公墓所

公頼は、京都の公卿くぎょうでかつての左大臣。父の実香さねかは、太政だじょう大臣であった。
大内時代の深川庄は、三条家の領地でもあった。
湯本温泉の台地に、住吉社と並んで興阿寺こうあじ(大寧寺抱え)がある。この寺は三条実香の創建である。

このころ、甲斐(山梨県)で勢力をのばしてきた武田晴信(信玄)の正室「三条のかた」は公頼の娘である。天文てんぶん五年(1536)、武田家に嫁いだ。
ところで、天文二十年(1551)、太守、大内義隆は、家臣の陶隆房すえたかふさ(のち晴賢はるかた)に山口を追われ、九月一日、当寺で自刃する。 たまたま義隆に招かれて山口にいた公頼は、この事件にまきこまれてしまう。山口を逃れた義隆を追って深川にむかった公頼は、途中暴徒に襲われ、八月二十九日、無残な最期をとげる。その場所は明らかでない。

この因縁から公頼は、義隆主従らとともに、当寺に眠ることになる。湯本、荒川忠次さんの家に「先祖、上田河内守が、武田信玄の家臣」という記録がある。
主君・信玄の義父である公頼の供養のため、河内守はこの地に来たものとも考えられている。

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