姿見の池・かぶと掛の岩
大内氏は戦国時代、山口にすぐれた大内文化を育てあげた名族です。しかし、天分20年(1551年)31代当主・大内義隆は、重臣 陶 隆房(
のち晴賢)の反乱によって山口を追われ、9月1日、この大寧寺で自害しました。
義隆はこの境内に入る前に、乱れた髪を整えようと参道わきの岩にかぶとを掛け、そばの池に顔を映そうとしました。 しかし水面に自身の姿が映らず、
運命を悟った義隆は寺の本堂に入り、清く自刃したのです。
池と岩は以前、寺の旧参道にありましたが、近年この場所に移したものです。
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